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瑠璃の光も磨きから
(るりのひかりもみがきから) 
瑠璃が美しいのは、よく磨くからである。同様に人間も、いくら素質があるからといって、錬磨・修練を積まなければ立派な人間にはなれないという喩えだそうです。

素質の有無にかかわらず努力を惜しんではいけないということですね。
いくら才能に恵まれても修練をさぼればあっという間にさび付きますからね。
小さい頃は神童でも20過ぎればただの人、というのはよく聞く話です。
まあ努力をしたからといって必ずしも報われるわけではありませんが、
報われている人間は須く努力していると鴨川会長も言ってましたし。

問題は錬磨の方向性ですよね。やはりその人の持てる性質を良い方に伸ばせませんと。
僕の場合は日々錬磨というより、研磨に近い物がありまして、
頑張れば頑張るほどすり減っていくような気さえします。
いつの間にか向こう側が透けて見えそうなほど薄っぺらな人間ですよ。
もう少し甘やかして、肥え太らせても良いと思うんです。
あ、そうだ人生経験の一つとして、参考までに僕と付き合ってみないかい?
と女の子に言ったところ、「ふっ」と鼻で笑われて一蹴されたのを記しておきます。

瑠璃が美しいのは、よく磨くからである。
しかし磨いてなければ、相手にして貰えない、相手にして貰えなければ、磨けない。
この負のスパイラルを断ち切るには一体全体どうしたら?
答えはいつまで経っても出ないままです。
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瑠璃の光も磨きから | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
土竜塚から山を作るな

(もぐらづかからやまをつくるな)
ものごとを大袈裟に言うことの喩えをいいます。
ものごとを無闇に荒立てること。針小棒大ともいいますね。

何か話をするときに、やっぱり規模が小さいよりは大きい方がいいですよね。

何の変哲もない話じゃ聞いてる方も楽しくありませんし、盛り上がりませんよね。
だからちょっとばかし大げさに話したところで、その人に罪はないと思うんですよ。
ほら、嘘も方便というじゃないですか。ちょっと意味違いますか。

ところで、日本で最も物事を大げさに表現するのは大阪人だそうです。
いえ、ちゃんと統計とったのか知りませんけど確かにそんな気はします。
何かのテレビ番組でもそんな話題をやっていたような記憶がありますし。
実際関西弁には程度表現が他に比べて豊富にあるそうです。

「とても」で済むところを「死ぬほど」と言ったり、発想が飛躍気味なのも特徴です。

かく言う僕の身体にも父の大阪人の血が半分流れてます。
母は岡山人なので僕は大阪人と岡山人のハーフということになります。
だから大阪人か岡山人以外と結婚して子供が生まれたら
クウォーターになるのでムチャムチャ可愛いと思うよ!
と友人に主張したところ、「それが大袈裟だっていうんだよアホ」
と納得のいくツッコミを入れられてしまいました。
なるほど確かに。

「土竜塚から山を作るな」 
この言葉の意味を「言葉」でなく「心」で理解できたような気がしました。


土竜塚から山を作るな | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
酔い醒めの水は甘露の味
(よいざめのみずはかんろのあじ)
酔い醒(ざめ)めの時分に飲む冷たい水は喩えようもなく美味い味であるということらしいです。
えー、これ、嘘ですね。ええ。
昨日は飲み会だったんです。で、今日は二日酔いですよ。
飲み過ぎたのか、最高に頭が痛いです。
傘も差さずに雨の中を帰ってきたので風邪もひいたっぽいです。
気持ち悪いし、頭痛いし、気分は最低です。
飲み過ぎると大抵翌日は舌の感覚がおかしくなります。
そんなときに食べるものは大体が味気なく感じます。
もともと味気なんて無い水なら尚更です。全く美味しく感じません。
カンロの味? いえいえ、ジンロの味がします。
口の中に酒が残ってる感覚があってそれがいくら口をゆすいでもとれません。
あ、酒を飲むと夜中に口の中が乾くのは脱水症状の一種らしいですね。
などと脈絡もなく思いついたことを書いていたら昔部室で酔いつぶれて、朝起きて水を飲もうとしたら
水のペットボトルの中にジンロが入れられていたのを思い出しました。
あれは最悪でしたね。迎え酒にしてもきつすぎます。

少し昔は本当に無茶な飲み方ばかりしていましたが、
最近ではめっきり飲み会の機会も減って、飲み方も大分大人しくなっています。
昔の方が勢いがあって、馬鹿な飲み方が楽しかったんですが、
その分次の日への影響が大きかったので
(夕方四時過ぎまでぐったりしていたときもありました)
近頃では程々で楽しむようにしています。
それでも時折調子に乗って飲み過ぎてしまうので、もう少し自制できるように頑張ります。
きっと、ほろ酔いで飲む冷たい水は美味しいのでしょうね。
でも「酔い覚めの水は甘露の味だなあ」などとほざくようになったら
いよいよ年寄りになってしまっているような気がしました。

今日はまとまりがまったくありませんね。
すみません、吐きそうなので許してください。

酔い醒めの水は甘露の味 | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
刀下の鬼となる
刀で斬られて死ぬ。斬り殺されることをいいます。
鬼とはこの場合魂を指します。地獄の赤鬼みたいなのではありません。
凄い言葉です。まず現代で使えませんね。刀で斬り殺されることがありませんから。
使ったとしても歴史小説くらいでしょうか? でも知ってる人も少なそうです。
「トウカノオニトナル」と聞いた感じだと何かパワーアップしてそうな感じもありますけど
実際はパワーアップどころか斬り殺されて死んでますしね。
「十日の鬼となる」だったらパワーアップですね。時間制限付きですけど。
僕がパワーアップするのはレポート締め切り間近の時ですね。
その場合十日も前からパワーアップできません。
せいぜい「一晩の鬼となる」くらいです。
周期から言えば「週一で鬼となる」でしょうか。
などと考えていると段々と間抜けな言葉になってきました。

「鬼のように~」という表現を聞くと昔スマイリーキクチという芸人が
「鬼のように疲れた」などと言っている女子校生を揶揄していたのを思い出します。
そういえば「鬼のように~」という程度表現は他の言葉と比べてどの程度に位置するんでしょう?
「とても」よりは強そうです。「死ぬほど」よりは弱そうです。
人によって想像する鬼も違うでしょうしね。
色によって鬼の強さって違いますかね?
赤鬼と黒鬼だと黒鬼の方が確かに強そうな気がしますけど、それは僕の主観です。

よく分からなくなってきました。
一つだけ言えることは、緑鬼は高木ブーの一択であるということです

刀下の鬼となる | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
猫の尻へ才槌
ふさわしくないこと。また、つりあわない事をたとえて言います。
「猫に小判」はどんな貴重なものでも、その価値が分からない者に与えては、
何の役にも立たないことを言いますけど、
ふさわしくないものを与えてるという点では同じなんじゃないでしょうか。

成り立ちを知らないので何故才槌(=木槌)を猫の尻に当てようと思ったのか皆目見当が付きません。
語感から言って何となく中国の故事成語っぽいですけど、別にそうでもないみたいです。
才槌で叩くんでしょうか? それとも柄の部分を刺したりとか……。
想像したら恐ろしくなりました。
何も猫の尻に才槌でなくても、言ってしまえば何でも当て嵌まる気がするんですよね。
猫に宛がう大抵のものはふさわしくないでしょう。最早猫である必要があるのかどうか。
猫も犬も人間に飼われてきた歴史が長いせいか猫や犬を用いた慣用句が非常に沢山あります。
猫の尻に才槌もそのひとつなのでしょうけど、聞いたこともなければ
知ったところで納得できません。才槌自体が現代的じゃないのもあるんでしょうか
ちなみに才槌は胴の部分のふくれた小型の木の槌で、製本業で主に用いられているらしいです。
額と後頭部の突き出た頭の形を才槌頭というらしく、
これはまさしく他人の悪口を言うためにあるような単語の気がします。

などと話がどうでも良い方向へ派生していってしまう僕の思考回路はお粗末ですね。
インテリという言葉は僕にとっての猫の尻に才槌かもしれません。

猫の尻へ才槌 | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
無い袖は振れぬ
実際持っていないものは出しようがない。
してやりたいと思っても、力がなくてどうにもならない状態のことをいいます。
江戸時代、着物の袖に銭入れを入れていたことに由来するらしいです。
袖というか、要するにお金ですよね。地獄の沙汰も金次第とはいいますが、昔からお金というのは大事だったということがわかります。

言葉のニュアンスとして協力したいという気持ちはあるみたいですね。
気持ちとしては助けたいんだけど、出来ることが無いからしょうがない。
その出来ることの多くがお金さえあれば解決するようなことだったんでしょうか?
何だかこの言葉の成り立ちはドロドロしてそうです。
でも別に金銭的援助はできなくとも、人的援助はできると思うんですよね。
他人に援助を求めるときってその大部分がお金が絡むときだったんでしょうか?
それからいくと金貸しと債務者の関係から生まれた言葉のような気がします。
現代でこの表現を使うときってしつこい相手を諦めさせる感じで皮肉っぽくいう気がします。

「そこをなんとか。お願いしますよ」

「無理無理。うちも厳しいんだ。無い袖は振れんよ」

なんかそんな感じで。僕の勝手なイメージですけどね。
でもそうすると何か冷たいですよね。人情っぽくないです。
助けたいという気概が感じられません。逆に、助けたいと思ってる人は
無い袖は振れないなどとわざわざ使わないんじゃないかとも思いますけどね。
人が困ってるのにインテリぶりやがって! と、怒りすら覚えるかも知れません。

いや、それはきっと貧乏で、余裕のない心がそう感じさせているのでしょう。
貧すれば鈍するといいますしね。

無い袖は振れぬ | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
相好を崩す

相好を崩す(そうごうをくずす)とは、それまでの表情を変えてにこやかに笑い出すことをいいます。
相好だけだと表情、形という意味らしく、それを崩すだけなら笑う以外にも使えそうな表現ですが
実際は笑うときにしか使われないみたいです。
元々は仏教関連用語で、三十二相八十種好という仏の特徴を表す言葉が縮まったものらしいです。

馬鹿馬鹿しい勘違いなんですけど、そうごうという言葉の響きがそうこう(=装甲)に似ているせいで
笑う前の表情がどうしてもカッチカチに固いというようなイメージを抱いてしまいます。
だからきっと緊張状態が解けて笑い出す感じのニュアンスなのかと思いきや、特にそういうわけでもないみたいですね。
ごく普通に笑うときに使えますので、今度笑うときは是非意識してみてください。
「破顔する」などと表現することもあるみたいです。
似たような表現に「顔を綻ばせる(ほころばせる)」があります。綻ばせるは「笑みを浮かべる」という意味がありますね。

さっそく使おうと思ったんですけど、装甲の固いイメージが抜けきりません。
僕のなかでは日頃よく笑う人に使うというよりも、
普段はあんまり笑わない人がふとした瞬間に笑ってしまうような、そんな感じで使うのが一番しっくり来ますね。
そうすると教室の隅でいつも大人しく本を読んでいるタイプの
知り合いが居るんですけど、普段は滅多に喋らないし、笑わないんです。
彼を使って例文を作ってみます。

 ――普段は無表情な彼が、こちらの馬鹿話につい相好を崩して見せた。

こんな感じで使うのが自分としては良いと思います。


相好を崩す | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
またぞろ

「またぞろ」とは「またそうろう(又候)」から転じた言葉で、またまた、とかまたもや、という意味です。
宮部みゆきの文章によく出てきます。確か。
初めて見たときは意味もよく分からないでスルーしたんですけど、
読んでいく内に結構な頻度で出てきたので3度目くらいで辞書を引きました。

またぞろって語感が何か楽しいですね。
元々の形が「またそうろう」であったのも中学の頃「さうらふ(そうろう)」を初めて習ったときのことを思い出します。
くだらない下ネタばかり言って喜んでいたあの頃が懐かしいです。
だからというわけでもないんですけど、シリアスな展開で「またぞろ」が出てくると
シリアスさが一気に減少してしまいます。

またもやという言葉の中には物事が繰り返して起きる、という意味が含まれて、
それ自体は中立的な立場だと思うんですが、
何となく繰り返しによってウンザリしている感じもあると思うんですよ。
どっちかっていうと良くない感じのニュアンスかなと。

 彼の告白はまたもや成就しなかった。

という感じで。まあもちろん

 彼の告白はまたもや成就した。

でも良いんですけど、そういう場合は度々、とかその他の表現を僕は使います。
それでまたもやの部分を同じようにまたぞろに置き換えてみると、

 彼の告白はまたぞろ成就しなかった。

となるんですけど何故か激しく違和感があります。
僕が使い慣れていないせいでしょうか?
ふられた彼には悪いんですけど、何だかコミカルな感じさえします。
逆に考えると、またぞろを使うことによって辛い出来事でも笑い飛ばせるようになるんじゃないでしょうか?
と考えたので実際にやってみました。

またぞろ再レポをくらった。
またぞろ教授のお叱りを受けた。
またぞろ実験が上手くいかなかった。
またぞろお金が無くなった。
またぞろ……


あれ、辛くなってきたぞ……?


またぞろ | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
分秒を争う
一分一秒の遅れが事態の結果を左右するので、その僅かな時間を争わなければならない。
ほんの僅かな時間を問題にしなければならないほど、事態が切迫していること。緊急を要することを言います。
別の言い方をすると「一刻一秒を争う」ですね。意味も文字も大して変わりませんが
「一刻一秒を争う」の方がよく使われますね。
日常会話の中で自然と「分秒を争う」と言えたら少しだけ博識さをアピールできるかもしれません。
少数派の俺格好いい系のアウトローな方も是非どうぞ。

分秒を争う出来事といえば締め切りがあるもの、特に学生にとっては
レポートの締め切りが一番の悩みのタネなんじゃないでしょうか。
毎週決まってレポートを出す教授、人数の少ない時に限って狙ったようにレポートを出す教授などレポートの出方は様々です。
講義を沢山とっていると複数のレポートが重なって泣きながら徹夜をするハメになることもしばしば。
理系の僕にとって一番厄介だったのは実験レポートでした。
大きく分けて緒言、理論、実験、結果、考察、結論、参考文献の7段階に分かれ、
実験レポートを書き始めたころはどんなに簡単なものでも5時間以上はかかって書いていました。
夕方頃から書き始めたのに、行程の半分くらいを書いた段階で日付が変わっていたことに気付き、
愕然としたのは今となっては良い思い出です。
ノートパソコンにテンキーが付いてなくてキーボード上の数字キーで実験データを打ち込んでいたら
それだけで7時間かかったことがあってから、時間を如何に節約するかというのは常に考えています。
最初の頃は真面目に全部自分で書いていたので、恐ろしいほど時間がかかっていましたが、
その内に楽をすることを覚えて緒言や理論の部分は他人のレポートの寄せ集めを微妙に書き直したものでいいや、
となってしまったのも仕方のない話なのです。ごめんなさい。

それだけ時間がかかると分かっていても、締め切り間近にならないとやらないのが人間であります。
締め切り前日の夕方、晩頃から書き始めるのはまだ良い方で、僕の友人で酷い奴になると
夜中の3時を廻ったあたりから「これから書き始める」などと得意げに言っていました。
「直前にならないとアドレナリンが出ない」んだそうで、きっと彼は早死にするな、と何となく思いました。
三限の13時までに提出だというのに、12時の段階で図書館で
「やべぇ終わらない」と鬼気迫る形相でレポートを書いていた彼はまさに、
分秒を争っていたのではないでしょうか。

分秒を争う | Comments(0) | TrackBack() | 日本語
にべもなく
にべとはスズキに似た大型の魚の浮き袋から作るにかわのことらしいです。
にべは粘り気が強く、これがない→粘り気がない状態が
人間関係において素っ気ない、愛想のない様子に例えられたようです。

さて、誰かに頼みを素っ気なく断られた時の話でもしますね。

鍋をしようと思って、それも突然思いついて、部活の後輩に連絡をしたんです。
時刻は午後3時くらいでしょうか。まだ夕ご飯を食べるには早い時間でした。
「鍋やるぞー」という僕の突然の連絡にも暇人できる後輩の彼は
「了解です!」とノリ良く賛同してくれました。
4~5人居れば楽しく鍋を囲めるわけですが、とりあえず買い出しに行くのには
自分と後輩一人居れば十分だったので、後のメンツは追々集めるか、と
その時思ったのが全ての間違いでした。

スーパーの売り場で何鍋にしようかとうろうろしていて、
たまたま白モツを発見したので、よし今日はもつ鍋にしようと
かごにモツを4パックほど放り込みました。
重さにして1.3kgくらいですか? まあ、四人くらいで食べるとしたら
適切な量だったんじゃないでしょうか。
キャベツを1玉、ニラを5束、生のうどんともつ鍋用の出汁を買って、
用意は万全、後は人を集めるだけでした。

「悪い、今日は用事があるから」

ところが連絡する人連絡する人今日は来られないといいます。
そりゃ、今日突然鍋やるぞと言われたって来られる人も少ないでしょうけど、
それにしても一人として捕まりません。
部活の同期が全滅状態だと分かった後で
後輩の更に下の代にも声を掛けようとしたんですが

「あいつら今日は合コンに行ってるらしいですよ」

などという知りたくもなかったことを後輩が教えてくれたので
全員フられてしまえなどと呪いながら諦めることにしました。

結局誰も捕まらず、二人の前には既に切ってしまった野菜と大量の臓物がありました。
二人で消化するには少々厳しい量でした。
あまりに人が捕まらないので最後はやけくそになり、勢いであこがれの女性の先輩に
「も、もつ鍋一緒に食べませんか?」
と連絡してみるものの
「ごめん……」
にべもなく断られてしまい、
「そりゃそうだよな……」
としょんぼり落ち込みながら二人で鍋を囲むことになった……とさ。

という話でした。「にべもなく」の使い方、こんな感じでしょうか?
何か違う気がしますね。もっとさばさばした感じで使われるような気がします。
というかもっと明るい単語を選べば良かった。次はもう少し明るいのを選びたいと思います。
ではでは。

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